■Ryuichi Sakamoto:CODA

■監督:スティーブン・ノムラ・シブル,出演:坂本龍一
■角川シネマ新宿,2017.12.23-(アメリカ・日本,2017年作品)
■今年最後の映画だがこのような素晴らしい作品で終わらせることができて嬉しい。 2012年から5年間をかけて坂本龍一を取材したドキュメンタリーである。 より過去のフィルムも入っていて厚みが出ている。
東日本大震災で調律が狂ったピアノを前にして彼は不自然な音だと語り始め、原発のこと・映画音楽のこと・演奏公演のことを振り返り考えながら、壊れたピアノを再び弾いてこれは自然に戻った音だったのだと感慨を新たにして幕が下りる。
ところで先日「100分de名著」(NHK総合)の「ソラリス」を見たのだが、以前から違和感を持っていたアンドレイ・タルコフスキー版の疑問が解決した。 それは終幕に主人公クリスが故郷で父親と再開する場面である。 作品が持つ大事なものをここで壊してしまった。 読んでいなかったので知らなかったがこの部分は原作に無いことを知る。 スタニスワフ・レムのタルコフスキー批判も理解できた。
話を戻すが坂本龍一はタルコフスキー版「ソラリス」は音楽映画だと言っている。 これは新鮮に感じた。 バッハのコラール前奏曲のことしか頭に無かったからである。 水や空気、草木からの音は映像の振動数と共鳴しコラールと溶け合い不思議な感動を呼び起こしているのを思い出させてくれた。 この流れは今春に美術館で出会った「async」に繋がっている*1。
「ソラリス」の次はベルナルド・ベルトルッチだろう。 「シェルタリング・スカイ」の砂漠の音や話題が出なかった「暗殺のオペラ」の飛んでくる夏虫の音を思い出しながらみていたが、ここは音ではなく音楽としてまとめている。 それも苦労した裏話ばかりで楽しい。
坂本龍一は闘病生活を続けている。 自身の肉体が崩れていくのをみて、自然と一体である生物として「調律」の不自然さを噛み締めているようにも思えた。
*1、「坂本龍一,設置音楽展」(ワタリウム美術館,2017年)
*作品サイト、http://ryuichisakamoto-coda.com/